今生きてることは実は幻想だった。
大乗仏教だいじょうぶっきょうで解かれた般若心経
もくじ
色即是空:空即是色これって量子力学だ!
しきそくぜいくう
この世の全てのものは、存在するようで、実は存在しない幻である。
この意味や解釈は様々である。
文献を辿っても、解釈の違いはあるが、
簡単に解説するとすれば
①あなたが住んでる家も、あなたの親も子供も、友人も、会社も、あなた自身も、実態のないものであり、存在すらしない。
という、衝撃的な内容だ。
しかし、素粒子物理学、量子力学、の世界観があれば理解できる。
しかし、難しいので
さらに簡単に解説するとすれば、
②あなたが乗っている車があるとする。それは誰が見ても車であり、アクセルを踏めば遠くまで連れて行ってくれる乗り物である。
しかしだ、
その車を全てバラバラに分解したとする。
何万もの部品で構成されている車を全て分解してしまえば、それはもう車ではないんだ。
部品の山にしか見えない。
その部品の一つ一つに、車の要素があるのか?
ないですよね。
ただのボルトや鉄の塊にしか見えない。
物質が積み上がったものを、有ると信じてるだけだと、
バラバラなると本質の車では無くなる。
有るものばかり信用して、大事な部分を見るココロが無いとダメだよ、という教えではないでしょうか?
くうそくぜしき
存在しないことが、物質として有ることが続くことはない。
色即是空の逆っぽい解釈になる。
今体験しているのは物質的な関与により、肉体が認識しているだけ、
しかし、その肉体と精神(魂?)は何から出来ている?
水とタンパク質とミネラルだ。
それらに分解してしまえば、あなたでは無くなる。
でも人という形が構成されたいるので、無いものでも、有るように見える。
難しい!です。
あるようで、無い。
ないようで、有る。
色=今、命があり、あなたという実態があったとしても、それは時間とともに
どうなるかわからない、
空=次の瞬間消滅するかもしれないような実態のないものだ。
実体のない物が、縁というつながりで実態があるように見えているという教えだと解釈できそうです。
早い話が今から1,000年後の3022年5月22日には
あなたが、その名前で、性別が女子で、身長が、、お母さんが、、、子供が3人。。
この事実は全て無くなってるってことです。
豪邸に住んでいようが、アパート暮らしだろうが。。。
そやって、一生懸命生きてたのに、そこには文明社会があったのに、
今から1000年前は平安時代、今でも奈良近郊で当時の遺跡が出てきて、それが歴史があったエビデンスとなる程度、
当時の、田中さんや佐藤さんという個人の履歴は皆無なのです。
1,000年後の今日は、
この2022年の出来事など誰も知らないのです。
1,000年後はこの自分たちが生きた何十億人の文明すら、
教科書で教えてもらった、いいくにつくろう鎌倉幕府!ともならないでしょう。
これこそ、色=有るのに 空=無い
そういうことなんです。
今を(毎秒)一生懸命生きなさいという先人の教え
今を生きるという意味は深いです。
今を生きる=魂の成長、精神の成長、量子のなかの素粒子で構成された実体のない、見えない自分の成長に一生懸命になる。
生きるとは修行です。
ダラダラ生きる=それは本来生きていることとは相反する状態
精神的に辛くなり、不幸感満載。
先人の教えや、神様の教え、仏教の教え、キリストの教え、全て、生きる意味を解いていると思います。
死後がどこへ、幽霊が?とかじゃなく、
今を一生懸命生きれば良いのです。
今この瞬間、不浄の風が来て、あなたの命が止まったとすれば、
その時、意識体となって自分を返り見た時、
後悔する人生ですか?
納得する人生ですか?
一生懸命毎日生きている人と、ダラダラ生きてて、いつかはクラウンとか言ってる人とでは大差有ると思います。
それは、夢の実現とか薄っぺらいことじゃなくて、
社会のために尽くして、良い縁を結んで、良い影響を与えることに邁進している。
そんな最中に
命のゴールが来たのか?
ダラダラ何時かは。。とか思うだけで、とりあえず生きてて、
命のゴールが来たのか?
あなたならどっち?