意識は、素粒子かも
意識とは何か?
現代の科学では、説明がつかない部分、
いくらコンピューターが高性能化したところで、AI止まり。
意識を持つことは不可能。
その意識は、量子力学で証明できるかも?という研究がずっと行われているが、
説明がつくと言う説も、つかないという説も、関係ない、という説も混在する。
量子力学でさえ、人間の脳内で起こっている、通信、思考、意識、感情を
説明できないのである。
そうなんです!
人類科学は、なぜ?脳が機能して、意識を持ってるか?
意識は何処にあるかを、解明できないのです。
この事実を踏まえて、意識を持って、行動出来て
社会のために影響できる存在であることを、日々感謝して生きるべきである。
霊的な存在、幽霊なんて存在しない。
と、考えるのは自由だ
しかし、それを考えている自分自身のことでさえ、
自分はもちろん、現代科学で、あなたが生きて、思考していることを、
何故か?説明が出来ないのである。
意識とは何処にあり、何なのか?説明できないのである。
極端なことを言えば、あなたは、宇宙人であり、幽霊なのかもしれないのです。
肉体というのは、電池もモーターも入っていないのに何故動く?
タンパク質の塊なのに、なぜ体温維持ができる?焚き火でもしているのか?
体は不思議でいっぱいです。
自分自身が存在していることさえ、本当なのかウソなのか?
長い長い夢を見ているだけなのか?
寝ている時に見る夢と、起きたときに見てる世界。
どちらが現実なんでしょう?
仏教的にも、この世で起こることは、すべて空で、実は幻だ!とも解釈しています。
神道的にも、あるようで無い、無いようである、という表現もある。
神仏の世界は見えない、見えない世界こそ、常識的宇宙感覚で、
見えている世界(肉体で)は見えない世界から言うと、米粒以下の世界観なのか?
とも思います。
量子脳理論
量子力学的不確定性(粒子の動きを正確に観測できない)
人間の感情が高い場所、熱狂する場所などでは、その場の量子に影響が出ると言われています。
人間の感情、意思が、量子に影響している。
これは意識自体が、量子レベルで不確定な動きをする、量子にて形成されていて、
超複雑なものではないか?と、
推測できる。
次々に脳内?意識に浮かぶ、映像や音、心配事や、楽しいこと、過去の記憶。
そんな事考えないでおこう!と持っても、
次々自分の意志とは逆に、不確定に色々なことを考え、思い出しますよね?
これは、意識さえ、自分でコントロール出来ない証明です。
この乱数のように連発する思考自体が、量子なのかもしれません。
そう考えるほうが、スッキリしませんか?
現代科学ではまだ量子の事が全て解き明かされていません。
そんな時代が来るのか来ないのかも不確定です。
超能力は存在する
現代医学では証明されている事がある。
ALS患者の脳に装着したセンサで、その人が念じるだけで、
コンピューターの操作ができる事が実証されている。
ただし1文字30秒や10秒かかるなど、まだまだ発展途上だ。
センサーで脳内で念じたことを感知する仕組みだ。
そのインターフェースもまだまだ発展の余地はあるだろうが、
念じることを、物理的な操作に増幅できる事が証明されているのである。
オーディオなどのアンプと同じである。
小さい音楽信号をアンプにより増幅して、スピーカーを鳴らす。
念じるという信号をもっと詳細に正確に読み取るインターフェースができれば、
埋め込まなくても、メガネをかけるだけで、全てものもが動かせたりする時代が来るであろう。
超能力はTVの影響でスプーン曲げとかレベルだと思いますが、
直感や、意識で感じるもの、操作できるものではないでしょうか?
やはり意識は量子ではないだろうか?
意識を量子の世界で説明すると、
なんとなく、しっくり来そうである。
今こうして、キーボードを朝起きてたたいている自分は、
この文章を強く念じて、考えて、打っているわけでもなく、
サラサラと何かに誘導されるように、打ってることが多い。
もともと、文章力は無いし、もともと五教科は赤点だし(^^)
意識は量子、素粒子、ニュートリノ
こう考えれば、時空を超えて、何かが存在することも
神様仏様が肉眼で見えないことも
しっかり理解できそうである。
私の信仰する浄土真宗の仏様
南無阿弥陀仏様は光と表現されます。
仏とは、光である。
南無不可思議光如来とも呼ばれます。
不可思議光とは、阿弥陀如来様です。
すなわち、阿弥陀如来様は光だと解いているのです。
まさに量子の世界ですね。
だから。。全て見られてるのですよ!
インターフェース (英: interface) はインタフェース、インタフェイス、インターフェイスとも書き、英語で界面や接触面、中間面などといった意味を持ち、転じてコンピュータと周辺機器の接続部分を表すようになった。さらに、ユーザーインターフェースなどのように、人間と自動機械との間の複雑な操作をする手順・規則との意味にも使われる。
ウィキペディア引用